法源寺便
2024.01.12

私はあまりものを収集したり、集めたりすることにハマったことがありません。
しかし、全くないというわけでもなく、小学生の頃に流行ったビックリマンチョコは、それなりに買ったりしましたが、まわりの友人たちほど熱心には集めることはありませんでした。

今まで、コレクションしたわけじゃないけれど、好きなものを買っていったらたくさん集まってしまったのは、CDやレコードです。
特に「収集する」という意識はなかったけれど、結果として集まってしまったものたち。
もしかして、これをコレクションというのでしょうか?

そんなものたちも、最近のサブスク時代の到来とともに、思い入れがあっって手元に置いておきたいものと、サブスクでは聴けないもののみ残してほとんど手放してしまいました。
当時、あんなに熱中して聴きまくったものたちが、バイト代のほとんどを費やしたものたちが、大した値もつかず手元を離れていくのには、世の無常を感じずにはいられませんでした。
そして、そのことにあまり心動かない自分に、学生時代に暗記させられた平家物語の冒頭よりもよっぽど無常を感じたのでした。

【モノへの執着は苦しみの原因】

仏教では、物質的なものへの執着が苦しみの源であると教えます。一生懸命集めたコレクションへの強い思い入れ(執着)は、それを不安や失うことへの恐れを生み出し、心を乱す原因となります。
私たちは、自分の大切なものには”変わらないでいて欲しい”と思い、”変わらないモノである”と都合よく見てしまうという、なんとも厄介で愚かな心の働きがあります。
そんな私たちの思惑に対して、すべての物事は常に変わり続けるのであり、永遠に持続しないというのが、この世のありようです。

コレクションなど、大切なものはその裏側に必ず苦しみを携えています。それらは、私たちの都合などお構いなしに、変わってゆき、その結果としていつか失うことになります。

そして、忘れてはいけないのが、自分自身も変わっていくということ。

大切なものが、いつか大切でなくなる時もやってくるのです。